文化・芸術

November 23, 2009

今年の一葉忌は・・・!!!

Img_231411月23日は、樋口一葉忌。
一葉さんの肖像が5千円札になって以来、我が家の周囲はこの日になると、普段の休日ならあまり人通りのない道にも、文学散歩らしき人やら観光客が集まり、一葉さんが使ったと言われる井戸や通った質屋などに行列ができる。

「伊勢屋」という質屋は今は撮影スタジオとして使われているようだが、年に一度だけ一般公開されるということで長~い行列ができる。

そして法要が営まれるのは東大赤門前の「法真寺」。お寺の隣に位置し、後に「桜木の宿」と言われた場所に一葉さんは家族と暮らしていた関係でこのお寺での法要となったのだそうだ。

今年で30年目を迎えるというから、5千円札ブームには関係なくこの法要は続いて今日に至り、第1回目から幸田弘子さんの朗読は聞く事が出来たらしい。講演も1回目の瀬戸内寂聴さんから始まって、今回の太田治子さんまで、多くの作家や文化人が名前を連ねている。

今回の朗読は30年目という節目の年なので第1回目の朗読と同じ「十三夜」を選びましたと言って、すてきなお召し物を着た幸田さんはいつものように、余り広くはない本堂にぎっしりと座った聴衆を前に、きりりとした姿勢でしっかりとはるか前方を見つめるかのように用意された椅子に腰をかけた。勿論手には何も持たない。
一瞬、室内が静まり、これから繰り広げられるであろう一葉の世界にじわ~っと染まっていくのと同時に幸田さんの凛とよく通る声で朗読が始った。
と間もなく幸田さんがいきなり立ち上がり、聴衆の後ろのほうに向かって何かを叫んだ。

一瞬、朗読の中のセリフかと思ったくらい、ドラマティックに幸田さんは叫んだのですぐには状況が分からなかったほどだった。

「ちょっと!写真を撮るのは気が散るので止めてくださいませんか!こちらは命がけでやっているんですから!」

事前に当然、撮影は禁止の注意はあったし、仮に改めて言われなくとも、あんな狭い空間で、咳払いひとつするにも気を使うほど、皆が幸田さんの朗読に期待をしているのに、カメラを向けるという行為が出来る人は相当な無神経なのだろう。幸田さんだけでなく聞いている立場の私でさえ、気分をそがれ、立て直すのに時間がかかった。

幸田さんは、しばらく呼吸を整えてから、又最初からやり直した。これは聞いている側にもとても違和感を感じたから、朗読している幸田さんはもっとやりづらい状況だったろう。そしてこの事がきっかけでその後も、これまでにないほどに動揺された部分を立て直す事で大変にお気の毒だった。記念すべき30回目だったのに・・・

幸田さんの朗読の前座として太田治子さんの講演があったのだが、彼女は父親である「太宰治」は「一葉さん」に比べたら1/100位好きですとおっしゃって会場を沸かせていたが、予定時間をオーバーしながら話があちらこちらに飛んで実にユニークな人だということが分かって、ある意味興味がわいた。

講演中足元に置いたバッグの中の携帯の着信音が鳴った。太田さんは話の途中であるのに動じることなくゆっくりと携帯を引っ張り出し、電話を切るのかと思いきや耳に当て「もしもし、あー今講演中です。」と言って静かに電話を切り何事もなかったかのようにバッグに収め、話の続きを始めた。さすが太宰治の娘!
「凛」という言葉が幸田さんとするなら「ほわん」という感じの太田さん。多分何もかも対照的のように見受けられた。

更に、まるでジョークのような話なので信じないかもしれない事が起きた。幸田さんの朗読の時間になって、太田さんも客席に座られ、皆と一緒に、カメラ騒ぎのあと、ようやく場内も落ち着いて静かに朗読を鑑賞していた。しばらくして今度は携帯音が鳴った。
今度は誰?と思って、音がした辺りを見たら、太田さんが携帯を持ち出しながら急いで席を立って場内から出て行った。

幸田さんにはとても不運な回となってしまったが、太田さんはどうだったのだろうか?多分、所謂「憎めない人」なのかもしれない。

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October 08, 2009

池田智子さんの創作人形展

Img_2_2 久しぶりに大型台風が上陸し、日本列島を縦断している最中、「朗読」の仲間Mさんと銀座にでかけた。

「朗読ボランティア」の活動を始める事になり、張り切っていたら「台風」のため初日がいきなり中止になって、出鼻をくじかれた感じで不完全燃焼気味の二人がとった行動が、「銀座でランチでもしましょ」ということになった次第。

Mさんの友人の友人が銀座で創作人形の個展をやっているので一緒に見ましょうと誘っていただいてランチの前に「銀座松屋」に寄った。

会場である「美術サロン」には30センチ~45センチくらいの大きさの人形たちがそれぞれのキャプションに合わせていろいろなポーズで並んでいた。Img_7
皮・木毛・しるく糸・脱脂綿などのやさしい素材を使用しているからか、ほのぼのとした質感が見ている者を心地よくさせてくれる。おじいさん・おばあさん・女の子などがそれぞれにホントに息づいているかのような表情を見せていた。洋服・小物・アクセサリーどれをとっても本物そっくりにキチンと縫製されていたり、編まれていたり・・・どうしたらこんな細かい作業ができるのか、不器用な自分を基準にしたらとても人間業とは思えないほど緻密にキチンと作られている。

そして、どのお人形も身に付けているものが品格があってセンスが良いのは作家である池田さんそのままの品性がにじみ出ているのだろう。見ていて嫌味がなくほのぼのしながらあかぬけている。

Img_4 台風のせいで人影もまばらだったおかげで会場にいらした池田さんとゆっくりお話をすることもできた。そばで優しいまなざしで奥様を見守っていた紳士はご主人で、お人形のモデルでもあるのは一目瞭然。

1996年から毎年「松屋銀座」で個展を開いていて、今年は現在開催中で13日が最終日。興味がある方は、連休にでも7階の美術サロンに足を運んで見る事を是非お勧めします。

人形たちを、じっと見つめていたら、もしかしたら首をすっと傾けたり瞬きをしたりするかもしれませんよ♪

「台風」のおかげで、素敵な出会いが出来た。
転んでもただでは起きない、オバサンパワーは、時にはこんな優雅な特典もついてくるのです。

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なお、今回のブログ掲載についてはご本人の承諾を得てあります。

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August 09, 2009

音訳ボランティア

単なる「朗読教室」ではなく、視覚障害者の為に、活字を「音訳」するための講習に参加している。

小学生時代、国語の時間に教科書を音読するのが好きだった。
高校時代は放送部に所属して、昼休みの校内放送で自分好みの音楽を流しながら、(今ならさしずめパーソナリティ気取りで)曲の紹介をしたり、放送コンテストに出場したり(入賞はしなかったけど)、以前から「朗読的」なことが好きだった。

ずっとそんな思いを胸に秘めたまま大人になった。そして、今ようやく時間と環境に恵まれ、念願だった「音訳」の講習会に通っている。

視覚障害者のために『目』の替わりになって、『音』で表現する。
そのためには、絶対に正確でなければならない。
書いてある事を「そのまま、耳で理解できるように」表現する。

「音訳」の作業として、まず、書かれている文字を正確に表現するために、読み方やアクセントなどを調べる事が8割で、上手に読む事や、耳に心地よい音声で、長時間読んでも疲れないような読み方を身につける(その為の腹式呼吸などの訓練など)のが2割だと言う。

その為に、私たちがこれからしなければならない事がある。
どんなジャンルのものでも読まなければならないのが「音訳ボランティア」。
『医学書』『お琴の教本』『ドイツ語の本』『歴史もの』『マンガ』『楽譜』etc・・・

専門家でなければ分からない言葉が一か所でも出てきたら、そこでストップしてしまう。
そんな場合に、身近にその道に詳しい人を準備しておき、分からない事はすぐ聞ける。そういう状況を作っておくことも「音訳ボランティア」としての腕の見せ所らしい。

そこで早速、今からその準備を始めた。

歴史好きな友人・ヘリコプター操縦士だった人・短大英文科の先生・ピアノの先生・法律関係の仕事をしていた人・PCに詳しい人(前の会社がIT企業でしたから)・俳句の先生・踊りの先生・古文書の解読・川柳・囲碁が趣味の人・お琴の先生・昔の暮らしを知っているおばあさん・医者の知人はいないけれど、いざとなればかかりつけの先生に教えてもらえるかもしれない。・・・などと書きあげてみると、その気になれば、意外と身近な人たちに助けてもらえそうな気がする。

それ以外にも、今一番のお助けグッズとして、活用しているのがPCでの検索。それと併用しているのが『電子辞書』。
かなりの確率でこの二つを駆使すれば問題はほぼ解決できそうな気がする。

講習がスタートしたばかりの頃、こんな例文を読む宿題が出た。

【石決明は刺身にかぎるね】

「石決明」という言葉を調べていたら「あわび」だという事がわかった。
【あわびは刺身にかぎるね】と読めば美味しそう!と誰もが思うだろう。
PCでいろいろ調べて行くうちに、「石決明」とはアワビの貝殻を粉末にした漢方で、目の病気に効用があるため、その字をあてたようだと分かった。
「石決明」はアワビの貝殻なので、刺身にはならないだろうが、読み方は「あわび」でもOKらしい。
ということであれば「刺身に限る」という例文はおかしくないか?

そんなことを密かに思っていたら、もう一人の生徒も同じ事を発見したという事で、二人で「刺身に限るは変では?」と先生に訴えると、先生は私たちの「探究心」を称えて下さりながらも、数週間後に、「あわび」と読むから「刺身でもおかしくないのでは?」と反論(?)してきた。

こんな風に、この講習会は先生も楽しんでいるのだろうと思う。
そして、「音訳者」としての心構えをじわじわと、植えつけるように指導してくださっている。

そろそろ、講習会も終盤に近付いている。実践に関してはまだまだ未知のことばかりで、先の事は全く分からないが、教室の皆の顔は一人残らず輝いている♪

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July 14, 2009

七月大歌舞伎「夏祭浪花鑑」・・海老様最高!

Kabukiza200907m

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June 09, 2009

句会で久々「特選」~

このところ、不調続きだった句会で、漸く先生から「特選」を頂いてちょっと嬉しい♪

俳句の難しさというのは、私だけ感じていることかもしれないが、自分でとても良く出来たと思う句が誰からも「互選」されなかったり、誰も選ばなかった句が先生から「特選」をいただくことがあったり、良く分からない。
つまり、私はまだほんとに「俳句」というものがよく解っていないということなのだろう。

今回は三句を投句して結果は以下の通り。

  湧き水の 小さき流れ 菖蒲田に    [特選]

  枇杷提げて 和服姿の 友来る      [入選]

  あじさいや 紫紺きらきら 雨上がる  [互選]

自分では、互選だった「あじさい」の句が一番気に入っていたのだが、先生の選句には入らず、何気なく作った句が選ばれた。
どう作ろうか・・・などとひねればひねるほど、上手くいかない。

これから、もっと勉強して自分でも納得が出来るものが作れるようになるといいな~

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May 11, 2009

森光子さん「放浪記」2000回!

Hou_2

実際に舞台を見るまでは、それほどの期待はしていなかった。
「この期間中に2000回を達成するらしい」という情報を聞き、初日である1996回目公演に出かけた。
会場は補助椅子まですべて満席。この記録達成に立ち会いたかったのだろうか、一人で観に来ている人をかなり見かけた。

実をいえば、「とにかく観ておかなくちゃ」という、ミーハー感覚以外、余り期待も持たず、友人を巻き込んでGWの一日を楽しむ程度の気持ちで出かけた。

最初の場面から最後まで、全てに森さんは出ていた。
そして、約300もあるというセリフもすべて、淀むことはなかった。声にも張りがあり、テンポも早い。
友人同士で、挨拶代わりに近頃、めっきり記憶力が薄れ、ちょっとしたことでもメモをしないと覚えられないと、脳年齢老化を心配し合っていた我々より、はるかに高齢であるのに、何故?あれほどの記憶力があるのでしょう!

更に、身のこなしの軽やかさ。歩く姿、立ち姿がシャキッとしていて、観ている者に全く不安感を抱かせない。

とにかく凄い!
自分が89歳になったとき、どんなオバアサンになっているのだろうか?
そんなことを考えさせられたり、ちょっと希望が持てたり・・・
やはり、多くの人にとてもたくさんの元気を与え続けてくれた、森さんに敬意を表します。
そして、多分、森さん自身が一番楽しい、人生の歩き方を見つけられたのでしょう。
モチロン、そのためにどれほどの努力を積み重ねたかは、想像するまでもないけれど・・・

おめでとうございます。そして、お疲れ様でした♪

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April 08, 2009

「ほたるいか 目はとりますか 酒のつま」

Hotaru

月に一度の句会に出した一句。

蛍烏賊は春の季語。

少し暖かい日が続くと美味しい冷酒が恋しくなる。メニューに新しく書き加えられた「生蛍烏賊」の文字を見て、もうそんな季節なんだぁと感じながら注文をしたら、女将さんが「目はとりますか?」と聞いてきた。

それだけの事を苦し紛れに俳句にして投句をしたら、意外な反響があり、参加者の半数が点を入れて下さった。
「面白い」「楽しそう」・・・そんな感想をいただいた。
まだまだ、俳句がわからなくて、手探りで作っているので、自分が力作と思っても誰の目にも止まらなかったり、こんな風に絶対選ばれないなと思いながら作った句が「とてもイイ」と言われて驚いたりする。

ただこの句は、先生には選ばれなかったので、皆が良いと判断してくれても残念ながらダメな句ということになる。
逆に、誰にも選ばれなくても、先生が「特選」に選ぶこともあり、その場合は先生の選が「絶対」なのだ。

先生は皆の投句したものを、添削してより良いものに直してくれることもある。
そんなときは、直された俳句は自分が作ったものとして公表して良いというルールがあるのだそうだ。

「先生が直して下さったけれど、私気に入らないんです。」

80歳を過ぎているのにとても愛らしいMさんが口を尖らせて先生に抗議をしている。

「だって、朝取ったばかりの春筍を頂いた時に、切り口から水分が滴のように湧き出ていて手が濡れるほどだった・・・そのことを言いたいんですもの。」

先生は元句を生かしながらの添削をする都合からか、夜露に濡れた筍のような句に作りなおしたので、Mさんは納得できなかった。

「夜に筍掘ったりしないし、夜露ではないんです。」

「Mさん!『朝取りの~』という句はどうですか?」
なんとなくジョークのつもりで、私が思いつくまま言った。

「あらぁ、いいわ!それなら納得できるわ。」

「いいですね。それで行きましょ。」

先生まで賛成してくれて、Mさんの句は私が添削した事になってしまった。
句会では、お互いにディスカッションして、直し合ったりするのは構わないのだという。

初めて句会というものに参加した際、皆がのびのびと自分の意見を言い合っている雰囲気が気持ちよく、同時に驚きもした。「俳句の会」というものはもっと優雅で静かな雰囲気の集まりなのだろうと思いこんでいたら、全体がとても賑やかで闊達さが漲っている。たとえ相手が先生であっても、遠慮せず意見を言い合う。先生もここは譲れないというところはきっちり立場を主張する。

そんな居心地の良い句会のせいか、不勉強のまま中々上達しないのに、ドンドン俳句が好きになっていく。
あとはやるっきゃない・・・勉強しないとね。

ちなみに今回の私の投句は

  ほたるいか 目はとりますか 酒のつま  (互選)

  紅辛夷 見上げて雲の 美しく  (互選)

  花冷えに 眉ひそめしか 阿修羅像  (入選)

「特選」までが遠~い~・・・・頑張ります!

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April 06, 2009

阿修羅展

Asyurab_2 Asyurac

「歴史」に詳しい友人に誘われて、「阿修羅展」に出かけてきた。

「阿修羅って何者なの?」
「人間?男?」

それほどの無知状態で、ただただ姿かたちの不思議な魅力に惹きつけられて、実物をこの目で確かめたいとの単純な思いで、友人にくっついて行った。

天平時代につくられた、奈良・興福寺の八部衆の一つが「阿修羅像」。古代インドの様々な神が仏教に帰依して、仏教や仏教徒を護る神になったものだとか。

その「阿修羅像」は、広い展示室の中央にただ一体、凛と美しい八頭身の姿でスポットライトを浴びていた。
周囲を右回りに歩いて鑑賞してくださいとのこと。(インドでは左より右が尊く、仏に敬意を表す儀礼法であるのだとか)

下から見上げるようにして後ろ姿や左右の表情を見比べてみる。やはり、正面の顔が一番美しく、次に見る右の顔は少し若く、左面が少し年上に思えるのも、右回りで見る事を意識してのことらしい。
美少年と言われている端正な顔立ちと、それにはそぐわない異常な細長い6本の腕さえも、伸びやかで美しい印象を受けるのは、何故なのだろうか。

守護神でありながら、「阿修羅」という響きは、何故か「悪」を連想させる。特に興福寺の阿修羅像は美しい姿で、見る人を混乱させる。

資料によると、かつて「阿修羅」が仏教に帰依する以前は常に戦いを挑む激しい神で、悪業ばかり繰り返していた。それを修業を重ねることによって「懺悔」をすることができて、今のような深みのある思いをたたえた「阿修羅」になったのだとか。
もう少し、時間を取って調べてみたい気分もちょっぴり、湧いてきている。

眉をひそめた表情などをじっくり眺めていると「阿修羅像」は、生命力というよりは、不思議な心の内面や、繊細さ、憂いなどを感じる。
美しくて、神秘的。説明出来ないけれど、ずっと見つめていたい気持ちになる。

いつか、奈良に行って、静かでひんやりとした建物の中で時間の流れを気にせずにゆったりと「阿修羅像」と対面してみたい・・・いつか。

 もうひとつの阿修羅像は、六本の腕を持ち、同時に三つの顔がある。奇怪なすがたである。仏の守護神だが、「阿修羅のごとく」というように、そこには止ることのない八方破れの闘争と、また錯乱があるようだ。顔は一つあればいい。眼も二つでたくさんだ。ところが「第三の眼」を与えられたことが苦痛であるように、三つの顔を与えられたことも苦痛ではないか。この像は身を以てそう言っているようだ。一顔は右を向き、他の一顔は左を向き、どちらも蒼ざめて唇をかんでいる。正面の顔をみると美少年だ。しかし眉をよせ、額にしわをよせて、いらだつような神経質な表情をしている。

 六本の腕の左右二本ずつは、乱闘のすがたを示しているが、正面の二本の腕は、つよい合掌によってむすばれている。神経質な表情をもって、熱心に仏を拝んでいる。錯乱の涯の衷心の祈りのすがたとでも言うべきであろうか。この像は或る物語の象徴化にちがいない。阿修羅像とは阿修羅劇の表現にちがいない。仏師は天平という時代のなかに、それを見たのではなかったか。

                 亀井勝一郎・著

                 「古代知識階級の形成」

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March 25, 2009

薪能を初体験!

Hagoro 「能と狂言」はこれまでに何度か鑑賞した事がある。
初体験は、中学生のころ、近所のお友達のお父さんが「謡(うたい)」を趣味としていて、休みの日ともなると、開け放たれた窓からオジサンの「たぁ~かぁ~さごやぁ~」みたいなメロディが流れてきて、「変な歌!」と思っていた。

そのうち、そのオジサンの発表会に招待されるようになり、新宿にある「矢来能楽堂」というところで毎年のように、鑑賞するようになった。会場は和服姿の上品な奥様風の観客が多く、ほとんどの人が小さな解説書のようなものを持って、セリフを聴きながら文字を目で追っていた。

子供だった私がちらっと覗いた記憶では漢字ばかりが羅列してあるような印象だったが、ただ難しい言葉が書かれているのだろうと勝手な解釈をしていた。

解説書さえ読めないのだから、子供の私に「能」はチンプンカンプンだった。それでもお友達とそのお父さんが出るからということで舞台での動きからずっと目を離さなかった。内容が全く分からないのに、衣装・能面・動き・シンプルな舞台など全てが魅力的に思え、気がつくとストーリー抜きでただうっとりと見惚れていた。

「狂言」は、言葉も動きもわかりやすく、滑稽な場面が多いので、そこだけでもおかしくて大人といっしょになって笑ってみたりしていた。

そんな子供時代の体験がいつのまにか「能・狂言好き」ということになってしまっていた。
それも相変わらず内容ではなく、あの静かで直線的な動きや華麗な衣装などがなんとも優雅で、なにかの機会があるたびに鑑賞に行くことにしている。

今回は、板橋区文化・国際交流財団主催で「薪能」を開催するというので、ほとんどが初体験という俳句仲間数人と出かけた。
「薪能」とは、能の舞台を屋外にして篝火を灯しながら漆黒の闇の中での幽玄な世界が繰り広げられるものだと思ったが、今回は文化会館ホール内の舞台を屋外に見立てて行われた。偽物の篝火が薄暗い背景にくっきりと浮かび上がってちろちろと揺らいでいるのがそれなりに幻想的で美しかった。

後日、ご一緒した中の一人と会う事があった。

「あなた、眠くならなかった?」

「・・・」予期せぬ質問で思わず、一瞬絶句してしまったが「お能のほうがちょっと眠くなりそうになったところがあったかも」と答える。

「私もちょっとだけね。お隣に座っていた人は前日がかなり寝不足だとかおっしゃっていたけど、「能」鑑賞するときは寝不足じゃだめよ」

やはり、皆「能」は初めてではかなりきつかったかもしれない。そして子供時代から鑑賞していた私は、未だに「能」の何たるかを自分流にしか鑑賞できなかった。

ちなみに演目は

狂言・・・「鶏婿」

婿入りすることになった若者が、知り合いに婿入りの作法をわざと嘘を教えられ、舅の前でいきなり鶏の真似をする。舅は若者が誰かに騙されたと察し、自分も鶏の真似をして、若者に恥をかかせぬよう心配りをする。

能・・・「羽衣」

白龍という漁師が浜辺の松にかけられた美しい衣を見つけ持ち帰ろうとするが、美しい女性が現れ、返してと懇願する。
その女性は天女で、衣がないと天に戻れない。白龍とのやりとりのあと、天空へ戻って行く。

どちらもストーリーは分かりやすい。ただ、「能」の舞台の時間の流れというものが、現代と大きくかけ離れていて、慣れないとかなりきついかも・・・
初めての「薪能」体験は「幽玄の世界」に遊ぶことができて、良かった。
出来れば、次回は本当に屋外で鑑賞してみたいな。

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July 05, 2008

藤原竜也×かもめ=素敵~!

Kamome Tatuya

赤坂アクトシアターのオープニングシリーズの一環としてチェーホフの「かもめ」が上演された。

演劇通でもなく、読書家でもないただのミーハーが、何故?チェーホフの芝居を観たかと言えば、実にミーハーな答えで恥ずかしいけれど、まず、あの美しい青年「藤原竜也」を実際に見たかったと言う事と、赤坂サカスを探検してみたかったという事だけで、チケットを申し込んだ。

アクトシアターには何度か出かけた事はあったが、周辺が全く様変わりしていて、びっくり!このところ東京はあちこちが再開発でお洒落な雰囲気のお店が増えていて、逆に言うとどこも同じような雰囲気で個性がなくなっている・・・そんな気がする。

そんな文句を言いながらもあちこち覗いてはみたものの、どこも観劇前に軽くというには「帯に短し・・・」で結局はスタバでラテと熱々のキッシュをほおばるくらいに留めておいた。

そして肝心の舞台はというと、「藤原竜也」はやはり素敵だった。若者の未熟さ、可愛さ、純粋さ、愚かさ、彼がそうだと言うわけではないけれど、ぴったりの役柄のように思えた。

「鹿賀丈史」や「麻実れい」などの大人たちも皆、愚かで、愛らしい「どこにでもいそうな人間たち」を演じていて、多分チェーホフという作家がそんな愛すべき人間たちを好きだったのだろうと推測された。
19世紀末の帝政ロシア崩壊前夜のロシアの退屈で惰性的な日常に起こる今回のストーリー。
やはり原作を読んで理解しないと、真剣に演じている人たちにも失礼だ思ったとともに、原作を読みたい気持ちがわいてきた。
いつになるか分からないけれど、読んでみようと思っている。

それにしても、役柄を演じている「藤原竜也」は魅力的な役者であることに間違いはなかった。あの若さで、あの長い台詞を覚え、演じ、見る人を惹きつけることが出来る才能。
美しいまま大人になって欲しい。「美しさ」それは見る人に癒しをもたらしてくれる・・・そう思っている。

終演後、劇場近くの馴染みの蕎麦やで友人と枡酒を飲みながら「あの発声法は喉を痛める」だの「演出がいまひとつ」だの好き勝手なことを言い合いながら、舞台の余韻を楽しんだ。
夜風がほてった頬に気持ちよく、爽やかに一日が終わった。

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