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April 08, 2009

「ほたるいか 目はとりますか 酒のつま」

Hotaru

月に一度の句会に出した一句。

蛍烏賊は春の季語。

少し暖かい日が続くと美味しい冷酒が恋しくなる。メニューに新しく書き加えられた「生蛍烏賊」の文字を見て、もうそんな季節なんだぁと感じながら注文をしたら、女将さんが「目はとりますか?」と聞いてきた。

それだけの事を苦し紛れに俳句にして投句をしたら、意外な反響があり、参加者の半数が点を入れて下さった。
「面白い」「楽しそう」・・・そんな感想をいただいた。
まだまだ、俳句がわからなくて、手探りで作っているので、自分が力作と思っても誰の目にも止まらなかったり、こんな風に絶対選ばれないなと思いながら作った句が「とてもイイ」と言われて驚いたりする。

ただこの句は、先生には選ばれなかったので、皆が良いと判断してくれても残念ながらダメな句ということになる。
逆に、誰にも選ばれなくても、先生が「特選」に選ぶこともあり、その場合は先生の選が「絶対」なのだ。

先生は皆の投句したものを、添削してより良いものに直してくれることもある。
そんなときは、直された俳句は自分が作ったものとして公表して良いというルールがあるのだそうだ。

「先生が直して下さったけれど、私気に入らないんです。」

80歳を過ぎているのにとても愛らしいMさんが口を尖らせて先生に抗議をしている。

「だって、朝取ったばかりの春筍を頂いた時に、切り口から水分が滴のように湧き出ていて手が濡れるほどだった・・・そのことを言いたいんですもの。」

先生は元句を生かしながらの添削をする都合からか、夜露に濡れた筍のような句に作りなおしたので、Mさんは納得できなかった。

「夜に筍掘ったりしないし、夜露ではないんです。」

「Mさん!『朝取りの~』という句はどうですか?」
なんとなくジョークのつもりで、私が思いつくまま言った。

「あらぁ、いいわ!それなら納得できるわ。」

「いいですね。それで行きましょ。」

先生まで賛成してくれて、Mさんの句は私が添削した事になってしまった。
句会では、お互いにディスカッションして、直し合ったりするのは構わないのだという。

初めて句会というものに参加した際、皆がのびのびと自分の意見を言い合っている雰囲気が気持ちよく、同時に驚きもした。「俳句の会」というものはもっと優雅で静かな雰囲気の集まりなのだろうと思いこんでいたら、全体がとても賑やかで闊達さが漲っている。たとえ相手が先生であっても、遠慮せず意見を言い合う。先生もここは譲れないというところはきっちり立場を主張する。

そんな居心地の良い句会のせいか、不勉強のまま中々上達しないのに、ドンドン俳句が好きになっていく。
あとはやるっきゃない・・・勉強しないとね。

ちなみに今回の私の投句は

  ほたるいか 目はとりますか 酒のつま  (互選)

  紅辛夷 見上げて雲の 美しく  (互選)

  花冷えに 眉ひそめしか 阿修羅像  (入選)

「特選」までが遠~い~・・・・頑張ります!

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April 06, 2009

阿修羅展

Asyurab_2 Asyurac

「歴史」に詳しい友人に誘われて、「阿修羅展」に出かけてきた。

「阿修羅って何者なの?」
「人間?男?」

それほどの無知状態で、ただただ姿かたちの不思議な魅力に惹きつけられて、実物をこの目で確かめたいとの単純な思いで、友人にくっついて行った。

天平時代につくられた、奈良・興福寺の八部衆の一つが「阿修羅像」。古代インドの様々な神が仏教に帰依して、仏教や仏教徒を護る神になったものだとか。

その「阿修羅像」は、広い展示室の中央にただ一体、凛と美しい八頭身の姿でスポットライトを浴びていた。
周囲を右回りに歩いて鑑賞してくださいとのこと。(インドでは左より右が尊く、仏に敬意を表す儀礼法であるのだとか)

下から見上げるようにして後ろ姿や左右の表情を見比べてみる。やはり、正面の顔が一番美しく、次に見る右の顔は少し若く、左面が少し年上に思えるのも、右回りで見る事を意識してのことらしい。
美少年と言われている端正な顔立ちと、それにはそぐわない異常な細長い6本の腕さえも、伸びやかで美しい印象を受けるのは、何故なのだろうか。

守護神でありながら、「阿修羅」という響きは、何故か「悪」を連想させる。特に興福寺の阿修羅像は美しい姿で、見る人を混乱させる。

資料によると、かつて「阿修羅」が仏教に帰依する以前は常に戦いを挑む激しい神で、悪業ばかり繰り返していた。それを修業を重ねることによって「懺悔」をすることができて、今のような深みのある思いをたたえた「阿修羅」になったのだとか。
もう少し、時間を取って調べてみたい気分もちょっぴり、湧いてきている。

眉をひそめた表情などをじっくり眺めていると「阿修羅像」は、生命力というよりは、不思議な心の内面や、繊細さ、憂いなどを感じる。
美しくて、神秘的。説明出来ないけれど、ずっと見つめていたい気持ちになる。

いつか、奈良に行って、静かでひんやりとした建物の中で時間の流れを気にせずにゆったりと「阿修羅像」と対面してみたい・・・いつか。

 もうひとつの阿修羅像は、六本の腕を持ち、同時に三つの顔がある。奇怪なすがたである。仏の守護神だが、「阿修羅のごとく」というように、そこには止ることのない八方破れの闘争と、また錯乱があるようだ。顔は一つあればいい。眼も二つでたくさんだ。ところが「第三の眼」を与えられたことが苦痛であるように、三つの顔を与えられたことも苦痛ではないか。この像は身を以てそう言っているようだ。一顔は右を向き、他の一顔は左を向き、どちらも蒼ざめて唇をかんでいる。正面の顔をみると美少年だ。しかし眉をよせ、額にしわをよせて、いらだつような神経質な表情をしている。

 六本の腕の左右二本ずつは、乱闘のすがたを示しているが、正面の二本の腕は、つよい合掌によってむすばれている。神経質な表情をもって、熱心に仏を拝んでいる。錯乱の涯の衷心の祈りのすがたとでも言うべきであろうか。この像は或る物語の象徴化にちがいない。阿修羅像とは阿修羅劇の表現にちがいない。仏師は天平という時代のなかに、それを見たのではなかったか。

                 亀井勝一郎・著

                 「古代知識階級の形成」

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